写真家「フジタ」の世界
藤田嗣治(レオナール・フジタ)と聞いて、「乳白色の肌」と称される女性の絵や、猫を抱えたおかっぱ頭に髭と丸メガネの自画像を思い浮かべる方々もいるだろう。
画家として良く知られる藤田だが、今回、東京ステーションギャラリーで開催される展覧会「藤田嗣治 絵画と写真」はそのタイトルの通り、「写真家」としての藤田にスポットを当てた展覧会。作品の魅力はもちろん、フジタという人物の観察眼や自己ブランディングを通して、戦前から戦後の動乱の時代の日本とフランスを生きた芸術家の「眼差し」が見えてくる。
写真はもうひとつの「画材」
フジタが写真に強い関心をおり、とくに「ライカ」のカメラを愛用し、旅先ではシャッターを切っていたという。しかし、そうしたフジタの写真はこれまであまりまとまって紹介されることがなかった。
今回の展覧会では、パリや南米、日本、中国など、藤田が生涯で訪れた土地のスナップやポートレート写真が数多く展示されている。単なる旅の記録にとどまらず、構図、明暗のバランス、被写体との距離感などには、明らかに「画家のまなざし」が感じられる。
まるで写実的なスケッチのように、光や空気の質感までも写し取ろうとしたり、さも偶然を装いながら実は綿密に計算されたかのような構図で撮られている写真からは、フジタにとってカメラが単なる道具ではなく、絵を描くのと同じくらい大切な「画材」だったのではないかと思わせられる。
セルフブランディング 「見られること」への自覚と演出
フジタは、ときには自分自身の姿も被写体にしていた。
とくに彼がパリで活躍していた1920~30年代、髪をおかっぱに切り、丸メガネをかけ、着物をまとった“異邦人”としてのルックスは印象的で、当時の雑誌や新聞に数多く登場している。
これらの肖像写真や自画像に見られる“演出”の巧みさも、今回の展示の見どころのひとつ。「どう見られるか」を意識し、自らをパブリックなアイコンとして作り上げていく、いまでいうところの「セルフブランディング」が、フジタの感性にはあったのだろう。
「画家としての自分」を写真を通じて示し、「写真家としての自分」がまた別の眼で世界を捉える。この二重の視点が、彼の表現の幅を広げていたようにも思わせられる。
絵と写真の間にある「視点」
興味深いのは、藤田の描いた絵画の中に、彼が撮影した写真と同じ構図、あるいは構図の“気配”が見られる点だ。実際、本展では絵画作品と、それと関連づけられる写真が並べて展示されており、ふたつのメディアがどのように関わっていたかを具体的に追うことができるのも面白い。
写真だからこそ捉えられる光、瞬間、質感のレイヤーと、絵画の中で再構成される世界との違いを比べていくことで、藤田がどのように自身の目に映った世界を切り取ろうとしていたかも見えてくるのではなかろうか。
そして絵と写真、それぞれの作品の展示を通して、フジタという人間の眼差しそのものにもふれることができるかもしれない。写真と絵画という二つのジャンルが、対立するものではなく、ひとつの表現の中で密接に結びついていたことを、じっくりと、静かに感じ取ってみたい。
■開催概要
会期:2025年7月5日(土)~8月31日(日)
会場:東京ステーションギャラリー(JR東京駅丸の内北口改札前)
開館時間:10:00~18:00(金曜は~20:00)※入館は閉館30分前まで
休館日:月曜(ただし7月21日、8月11日は開館。7月22日・8月12日は休館)
公式サイト
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202507_foujita.html
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