一般社団法人コレオグラフィックセンター(CCJ)のCCJ Journalに「パリ・オペラ座 IN シネマ 2025」の1作目、オペラ「カルメン」のレビューが掲載されました。
ビゼーの死後に評価を得て不朽の名作に
2025年はビゼー作曲オペラ「カルメン」が1875年3月3日にパリのオペラ・コミック座で初演されてから150年目。
当時のオペラは貴族や高貴な女性が主人公であるのが常識であったうえ、オペラ・コミック座は文字通りコメディや喜劇を中心に上演する劇場でした。
そのため主人公のカルメンはジプシー(ロマ)で恋を渡り歩く奔放な女性、貴族社会ではなく庶民や労働者、兵士、密輸業者が登場するこの物語は「不道徳」「センセーショナル」だと不評を買い観客にそっぽを向かれてしまいます。
ビゼーはもともとの持病が悪化し、初演から3か月後に失意のなかで亡くなってしまうのですが、ビゼーの友人でエルネスト・ギローがビゼーによる未完の部分を補完した版を完成させ、オーストリアやドイツで上演。これが絶賛されます。これがフランスでも再評価され、現在の「カルメン」のスタンダードとなっています。
「普遍」であることがそもそも問題??
さて、このカルメンの物語は自由に生きようとした女性が「不道徳」とされ男性に逆恨みされた挙句、非業の死を遂げるという物語。
いつも「カルメン」あらすじを紹介するたびに「身も蓋もないな」とは思うのですが、要約すると結局これに辿り着くわけです。とはいえ男女のいさかいはともかく、自由を求めて自己を貫こうとする女性の生きざまは、150年を経た今でも同じような問題を抱えているのではないかと思うわけです。
個人的に、様々な海外旅行関係の会見などに出ていくと、女性のトップばかりということもしばしばあるなか、日本は本当に変わっていないどころか、却って悪くなっているのではないかと思うことの方が多いのです。
古典作品はテーマが普遍ゆえ、古典として長く愛されている側面があるが、「女性の自由」が150年を経た今でも不変というのも、これはこれでかなり問題ではと思うし、そうした問題定義もまた、古典作品の上演(上映)意義の一つでもあるのでしょうね。
演出家や歌手、すべてがかみ合った傑作
とはいえ、こうした問題定義をできるかどうかは演出家と出演者の力量次第。
作品によってはドン・ホセが単なるストーカーでしかなかったり、カルメンがただのはすっぱだったりという場合もあるのですが、本作はビエイトの演出にロベルト・アラーニャ(ドン・ホセ)、エリーナ・ガランチャ(カルメン)、イルダール・アブドラザコフ(エスカミーリオ)ら、登場人物全てが絶妙にかみ合っていたからこそ辿り着いた感想でもあり、ここしばらく見た「カルメン」のなかでは素直に傑作だと思います。
もしまた目にする機会があったら、ぜひに。

なお、「パリ・オペラ座 IN シネマ 2025」はこの後、バレエ「眠れる森の美女」(2025年8月22日~)、オペラ「蝶々夫人」(2025年9月12日~)を1週間限定で上演予定です。
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